yumisong
 インスタレーション・アートという映像や音や物語りで空間を構成する現代美術家、ユミソンの日々の制作キロクなど。
暴力について
2011年12月17日(土)に多摩川の河原でフルーツバスケットをしました。フルーツバスケットとは質問に応じて動く、椅子取りゲームの一種です。通常と違うのは、テーマをフルーツにせず、『暴力』となっているところです。アーティストや学芸員などのゲストと観客入り混じった20人程度の大人たちで、暴力についてのフルーツバスケットを行った後、その映像を見ながら、Art and Riverギャラリーにてディスカッションを行いました。

このイベントは、眼前にある問題や困難と戯れつつ、それぞれの世界を捉えなおす、ゆるやかな思考と実験の為の学校「The Academy of Alter-Globalization」とCAMPの共同主催です。

私は今回のテーマである、暴力を『コミュニケーションの取れない状態での力のやり取り』だと定義してゲームに挑みました。例えばボクシングなどのルールのある格闘技やスポーツなどはコミュニケーションの取れる状態なので、暴力ではありません。戦う前から力の差が歴然だとしても、格闘技やスポーツを暴力とは言いません。でも道ばたで突然殴るなどの相互了解のない場合は、殴られた方が強かったとしても、暴力になります。言葉の暴力もしかり。

なので、フルーツバスケットで誰かが質問していた「目覚まし時計は暴力だと思う人!」では、私は椅子から立ち上がりませんでした。私と時計との間には、「決まった時間にベルを鳴らしてね。」というコミュニケーションがあるので、暴力的な音で不快にさせられたとしても、暴力にはなりません。

私はみんなに「神は暴力を振るうと思う人!」と質問しました。この投げかけに対して、私は明確な回答を持っていません。疑問だったので、みんなに投げかけたのです。結果として一人だけ立ち上がりました。立ち上がった彼は、フルーツバスケット終了後のディスカッションで、聖書の中でキリストの父の殺した人数(200万人以上)と悪魔の殺した人数(10人)の話を聞き、神は暴力を振るうと判断したと言っていました。

私は、殺されてしまった数の比較で考えるのも面白いけど、誰かより多い数を殺したから暴力ではなくて、悪魔と神とのやり取りの手段として、悪魔と人間、神と人間の力やり取り(殺人)があり、神は人間に対して同意のない力をふるったという意味において暴力が発生したと感じたのかなと思いました。「神と悪魔は対立しあうもの」という前提を人間は了解しているので、悪魔とのやり取りに対しては暴力とは言わず戦争や争いと言い、人間に対しては「赦す」というコミュニケーションをとるハズの神が、突然振るった力に対して暴力だと感じてしまったのも彼が椅子を立った一つの要因かなと思いました(考えすぎかもしれませんが!)。

そして、私が質問した意図は、神と私たちはコミュニケーションができるのか?という疑問からです。遠藤周作の小説『沈黙』では、神は司祭や信者がいくら抑圧されても暴行を受けても救済せず、気配を見せない。「神を信じること」のために抑圧され続ける主人公の司祭は、神のためにしていることなのに、救済しないなんて!神はいないのか、私たちを見ていないのかと落胆しますが、最後には、何も手を差し伸べない神を、「ずっと側におられた」と感じ、その存在を感じることが神の存在だと確信します。

悔い改めよ、そうすれば神はあなたを救うと謳う欧米からすれば、救わずに存在するだけというアニミズム的な神は、随分東洋的ですが、私が疑問に思ったのは、その「(非物質として)側に居る」は、コミュニケーションとして何処まで可能なのか疑問に思ったのです。

それは別の言葉を使えば、愛はどこまで可能か、信頼はどこまで深さがあるのかとも言えるかと思います。相互のコミュニケーションの「了解」の危うさがそこには含まれています。私はキリストの父とも、神とも言いませんが、「何か」を信頼しています。別の人にとっては、「何か」に宗教的な言葉が入ります。その信頼はどこまで可能なのか、暴力はどこで発生するのか疑問に思ったのです。

ディスカッションで、ある人が「暴力は受ける・受けないを選択できる」と発言していたのも興味深かったです。私は幼いころ、「暴力を受けるのはイヤだな。だって、傷跡が残るんだもん!」と思っていました。この傷跡とは、身体に直接残る傷跡もそうですが、記憶として残る傷跡も指します。向こうから一方的にやってきたのに、「傷つけられた・汚された自分」を形作られるって、なんてこったい!と思ってたわけです。実際に心に傷を負うと、脳の扁桃核に物理的な傷がつくこともあります。

しかしある時に気がついたのです。「私は汚されることはない」と!例えば誰かが私に、「おい、この豚野郎!」と言ったとしても、私は豚野郎に変身するわけではなくて、「おい、この豚野郎!と発言したあなた」が出来上がってしまうだけなのです。私はその言葉を受け取らないという選択もあったのです。わーい受け取りませーん。よかったよかった。逆に言えば、それまでは誰か達が突然やって来て、「おまえらは汚らしい民族だ」とか、「豚だ」とか言えば、あー汚くなっちゃった、豚になっちゃった。と思ってしまっていたのです。悲しい。ぽろぽろ。

デモは暴力の一種だと思いますが、東電本社の前を練り歩いても、受け取らざるを得ない力を行使していないので、残念ながら東電側は受け取っていません。でも隠されたデモの目的は、東電とデモ隊の同意のないコミュニケーションという暴力行為ではなく、(テレビが自分たちを取り上げないという言い分の内容や、インターネットで画像をアップしている様を見ていると)デモを通してメディアとコミュニケーションを取ろうとしているのかな、画面の向こうのみんなとコミュニケーションしたいのかなと思いました。一応補足しますが、こんな乱暴な書き方をしているし私は一緒に歩かないという意思表明もしていますが、デモを行うことや、その力は応援しています。

なので、フルーツバスケットの質問で「暴力が好きな人!」でも椅子を離れました。厳密には、暴力があると認めることが好きです。時々「あなたは差別される側の人間だから、差別はしないでしょ?」と聞かれますが(今回も聞かれました)、差別しています、してしまいます。それを認めたいし、差別がこの世界から無くなるとは思っていません。あと、差別と暴力ってとっても近いけど違うなとも思っています。順送りな暴力は悲しいし、少なくなればいいなーとは願うけど、暴力や差別が無いことを肯定すると見えなくなることの方が、幸か不幸か芸術家の私は危険に感じるのです。

話を戻すと、受け取らざるを得ない時の方が多いですが、暴力を受け取らないという選択肢の可能性はとても素晴らしいものだと思います。今回のフルーツバスケットは、暴力の様々な面を確認できる機会となりました。
| Review | 14:56 | comments(0) | 2012.01.24 Tuesday |
『一般意志2.0』他を読みました。
『一般意志2.0』著:東浩紀の本を読んで面白かったので、感想を書きます(本の内容紹介ではありません)。私は政治家や先生と呼ばれる、いわゆる尊敬される人たちは「まなざし」如何によって、神にも妖怪にもなると思っているので、まなざしを軸にお話をすすめますね。

 以前何かの本で、神様がみんなから忘れられると河童になったり、座敷わらしになったりし、逆に妖怪が尊敬されれば神様になるというのを読み、人間も一緒だなと思ったのがきっかけです。みんなの尊敬のまなざしが、人を育てる。向けられたまなざしを感じることは、空気を読むのに近いかもしれません。話を戻すと、一般意志2.0で書かれていることは、(私の読み方から)要約すると


 私たちは政治家にまなざしを向ける。政治家は<私たちそのものではなく>私たちの発する欲望のまなざし(本では空気という言葉で表現していました)を閲覧することで行動に影響をうける。つまり長期的な意味で言えば、育成される。

 現在、政治家に向けられているまなざしは、小数のしかも特定の方向性をもっているので、政治家育成としては偏りがあり、偏った育成をされた政治家がアウトプットした、現在の政治は私たちに馴染みずらい。ならば、政治を私たちに馴染みの良いものにするためには、私たちのまなざしを極限まで広く拾い集めることで、特定の方向性を持たせなければいいのではないか。

 つまり政治家の持つべき能力は、特定のまなざしを<受け入れる能力>ではなく、多数のまなざしを<解析する能力>であり、量的まなざしを収集することが重要なのではないか?

というものでした。(間違っていたらごめんなさい……!)

 政治家を私たち民衆の代弁者にせず、私たちの欲望を解析し運用する技術者に育成しよう!育成のためのラーニング・アーキテクチャ(以下LAと略しますね。)を構築しよう!という提案です。で、具体的に何をすれば上記のことが実現するのかと言えば、コメント付きの動画配信システム(本の中でニコニコ生放送を提案)を国会に持ち込むこと。国会でRawデータのまなざしを収集することを提案しています。常に見られていることを意識させるアーキテクチャで政治家の意識変化、そのRawデータを解析するスキルを磨くことで、政治の変革を期待しています。

 この提案の目玉は、政治に対しての敷居を男女や年齢、学歴に構わずに劇的に低くすることにあります。問題点は私たちのIT環境にあります。動画配信に対応したインターネット環境を持っていることが政治参加の条件になります。そこがもっとクリアできればいいのに。老人やその他、普段インターネットに関係ない人たちのまなざしも取り込めればいいのに!と思いました。政治を安売りすると本には書いてありまたが、もっとお安くならないかしら。と思いました。そしてLAの画期的な点は、まなざしに方向性を持たない。実はこれは非常に重要で、今までの概念やあり方とは大きく異なることなので、これが1.0ではなく2.0たる所以かなと思います。

 ニコニコ生放送を使うから、IT技術を使うから今までとは違う、だから2.0なんだよ!ってことでは無くて、今までなら一定の方向を持つ事で扱えるまなざしを、Rawデータのまま扱う(本の中では無意識と表現していました)ことを提案している点が、今までの「どんなコミュニケーションで世界を調整することが適切なのか。」に軸を置いて物事を考えていた私たちにとって、全く別の視点を与えてくれるという点において、異なると思います。だから2.0と打っているのだと思いました。もちろん結局はコミュニケーションは続けていくしかない(本の中では熟議と言っていました)のだけど、今までのようにシステム(仕組み)ではなく、アーキテクチャ(構造)で対応していこうよ!と言っています。すごい。次の世界だ。

 一方、よく一般意志2.0と比較や同類とされる、もう一つの政治家育成のラーニング・システム(以下LSと略します)があります。それは、政治家の身体に向けられる欲望を起点に、まなざしを収集しようというものです。LSは、政治家に性的魅力を持たせ、エンターテイメントとして、まなざしを収集しよう!という、普段政治に興味のない若者にとって敷居が低く、政治参入がしやすそうな提案です。そして、LSの中にも2つの提案があります。

【LS-1案:アニメ】政治家を人間ではなく、仮想のアニメキャラとする。アニメキャラが提案する政策は、Wikipediaのように私たちみんなで考えようぜ!という直接政治。アニメキャラは新しく作るのではなく、もともと人気のあるものを起用することで、そのアニメのファン層をそのまま取り込める仕掛け。

【LS-2案:アイドル】AKB48の総選挙の言葉にヒントを得、アイドル育成の仕組みを政治にも当てはめようという提案。コミットすれば触れる・話せるなどの性的興奮が<実現できることを強く意識させる>。複数人のアイドルで興味を横断させたり、アイドルたちを選挙で戦わせるゲーム性で政治への興味の継続を図る。金銭でコミュニケーションすることで、途中下車しずらい心理を作る。

 LSのアニメとアイドルによる2案の利点は、欲望を対象にしているので、熱狂しやすいし、楽しめる仕組みだと思います。問題点は、興味の継続性と、女性も入れないことはないですが、圧倒的に男性の欲望を利用した仕組み。また、まなざしに方向性を持つことで、はじめて実現できる仕組みなので、ファシズムになりやすい。まなざしの方向性が強ければ強い程、政治家として人気を博しますが、ファシストになりやすい危険を多分に孕みます。それは今までの政治をみれば明らかなこと。そして画期的な点は、善人の皮の下(キャラクタ)での直接政治の可能性を提示している!IT技術で直接政治が(日本という中途半端に人口の多い国で)実現できるなら、すごいことですよね。地味に期待しています。

 アニメとアイドルによる提案は上記に書いたこととは違う感じでお話が展開がされていますが、僕たちの世界や物語りを割愛させてもらって(ごめんなさい…!)、今回のまなざしを軸に見ていくとこのように書くのが妥当かなと思いました。要は、仕組みで提案しているということです。楽しみ方が、ゲームのソフトウェアみたいな感じなのかな。そんな政治が実現したら楽しむ人が増えると思います。

 そして。忘れてはいけないことは、私たちは育成された政治家がアウトプットする「良くなった政治」の恩恵にあずかりたいだけで、構造や仕組みの違いの議論や反論合戦で話が終わってしまわないといいなーと、結局は政治に興味の持ててない私は思います。
| Review | 14:26 | comments(0) | 2011.12.22 Thursday |
federated states of Micronesia Chuuk state
ミクロネシアには沢山の有人と無人島が浮かんでいます。私は1週間ほど、そのなかの小さな1つの無人島に滞在しました。


トラック環礁は、沈船ダイビングのメッカ。日本の船が沢山沈んでいて、アメリカ人に大人気。
アメリカ人の爺ぃさまたちをたくさん見かけました。真珠湾攻撃のカタキだそうです。


チュークの子どもたち。ここがモエン島のメインストリート。スラム街のようです。私はこの島に宿泊しなかったので見ていませんが、観光客は一人では出歩かないようにと注意書きがホテルにあるようです。モエンのホテルの周りには、セキュリティがたくさんいます。


のらねこ。かわいい。


ボートを操るチューク人。定職率が1割のこの島で働いている珍しい男。島の移動は彼らの仕事です。


無人島到着。雨が振らなければ、外で寝泊まり。ヤドカリがうじゃうじゃいます。


サンゴは色とりどり。朝は魚がたくさん居すぎて、どうしていいのやら。正面きってガン見してくる魚もいます。


満月がのぼりはじめました。


17才の少女。陽が沈むと、彼女は毎日ウクレレを引いています。学校へは行っていません。
無人島でご飯をつくってくれているおばさんの、姪っ子です。
彼女はほとんど居るので、無人島じゃなくて有人島かもしれません。

料理は、小さな石油ストーブでします。目玉焼きにトーストなど。
雨水で身体を流して、シャワー代わり。雨水を沸かせばコーヒーも飲めます。

そんな生活は思いのほか快適。あと一ヶ月くらいは居たいなと思いました。
また行けるかな。
| days | 19:00 | comments(0) | 2011.11.18 Friday |
秋ヶ瀬バイクロアWS


11月20日、秋ヶ瀬バイクロア http://bikelore.jp/ にて子ども(大人も参加オーケー!)ワークショップを開催します!



今回は、紙飛行機をつくろうと思います。
この飛行機は、昔知り合いのおじいさんに教えてもらったゴムで飛ばす紙飛行機で、本当によく飛びます。
すごーく上手く作れば1分以上空を漂って、優雅に空を舞う自分の紙飛行機を見るのはすごく気持ちがいいです!(普通にがんばっても、20秒〜30秒ぐらいは飛びます。)

時間は9時〜15時の間で、のんびりとやる予定です。(お手伝いも絶賛募集中!)
料金は300円。

売上の一部を被災地(岩手県の吉里吉里)支援に使用したいと思います。
岩手県でパフォーマンスをした時に、自らもDJをやっている音響さんの吉里吉里の海岸線沿いにある、古民家をリノベーションしたお家にしばらく滞在させて頂いた縁があって、そのご夫婦を通じて送りたいと思います(ぺこり)!



画用紙にペイントしてから紙飛行機をつくります。
作り方は、小さい子にはちょっと難しいかもしれないけど、順番通りに追っていけば大丈夫!
秋の空で一緒に、あそぼうね。
| exhibition.workshop | 23:01 | comments(0) | 2011.11.01 Tuesday |
【ダイジェスト版】哲学者の部屋 - The Worldly Philosopher's Room -


『私がこの街で見たのは、空っぽの別荘。そして......』

バスツアーで街を巡ります。
バスツアーの発着地点、バスの中、学校の裏手、霊山のふもと、旅館の階段、広場に作品がインストールされています。

この映像は、体験型作品(7時間)を映像に納めたもの(約25分)のダイジェスト版(約5分)です。

コンセプトなど:
http://art.yumisong.net/?eid=1110695
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| 中之条トリエンナーレ2011 | 09:23 | comments(0) | 2011.09.20 Tuesday |
哲学者の部屋 - The Worldly Philosopher's Room -


今回の展覧会の英訳タイトルは、経済思想史家のRobert L. Heilbroner の著書、『The Worldly Philosophers: The Lives, Times And Ideas Of The Great Economic Thinkers(入門経済思想史 世俗の思想家たち)』から影響を受け、『The Worldly Philosopher's Room』としました。Worldly(俗っぽい) Philosophers(思想家・哲学者)という言葉遊びは、経済学者を暗示しています。

2010年8月。中之条ビエンナーレに参加するために、私は2泊3日の下見旅行にきました。同じ年の3月28日、中之条町は六合(クニ)村と合併し、中之条町が16,846人、六合村が1,736人で計18,582人の新しい町になりました。 面積は439平方キロメートルで群馬県内4番目の広さ、ローマ教皇の住むバチカン市国の約10倍の面積です。

中之条地区も田園風景が広がる緑豊で、明治時代には栄えていたであろうことが忍ばれる建築物が点在する素敵な町ですが、六合地区は現代にはどうしても必ず存在してしまうスーパーやコンビニまでも風景が拒否をした、まるで映画のセットのように時代が止まってしまったような静かな佇まいをしていました。

六合村の由来となっている、六合(クニ)とは「東西南北と天と地」が合わさる領域(つまり全ての空間)が国になるということから六合という漢字をクニと呼ぶようになりました。天と地を取り巻く環境というのは、なんなのでしょうか?宇宙の外側を考えるような物質から解放されている信号の世界。

六合には、今は使われていない別荘があります。展覧会場の候補の一つにあげられていたその別荘には、かつて学者が住んでいました。その学者はまだ生きています。すでに何年も使われていない別荘には家具だけで、本の類は置いてありませんでした。その学者は哲学者だと聞きました。どんな系譜の哲学を専攻している人なのだろうと少し気になり、名前を教えてもらって家に帰って調べました。

某国立大学の名誉教授だということと苗字しか教えてもらえませんでしたが、今も活躍している偉い先生ならきっとすぐにわかるだろうと思い、インターネットで検索をかけました。しかし一向にそれらしい人はみあたらず、某国立大学のサイトなども調べましたが、結局わからずじまいでした。

しばらくして先生のフルネームと肩書きをスタッフの方が調べてくれました。苗字はあっていたものの、大学名と肩書きは違いました。哲学者ではなく、経済学者でした。下見のときに複数のスタッフから、「某国立大学の哲学者の先生」と共通の知識を教えてもらっていましたが、それはそうであろう(その方がいい)という記憶から出た言葉でした。

人は物事を記憶するときに、覚えやすい『符号』に変換して脳に『貯蔵』します。学者という符号を記憶にしまう時に、肩書きは経済学者から哲学者になり、大学名は有名私立大学から有名国立大になりました。特にそれは珍しいことではありません。私はその「記憶のしまい方」に興味を覚えました。

普段は使わない記憶、普段は意識しない風景に影響されて、人々の生活は営まれています。意識は氷山の一角にすぎません。何気ないノイズのような仕草や感覚が集積されて、人々の生活は営まれ、それが街の輪郭を少しずつかたどっていきます。はっきりとした輪郭ではなく、それは襞(ひだ)のような輪郭です。現象と主体をはっきり分けることができないように、人々や街を形作る境界線も分けることができません。分離と調和は同じゆらぎの中にあります。

Robert L. Heilbronerは、Economist(経済学者)をWorldly Philosophers(俗っぽい思想家・哲学者)と言い換えました。中之条の人々の意識の中からWorldly(俗っぽさ)は無意識へと沈んでいきました。そして。経済学者が住んでいた別荘は、いつの頃からか哲学者の別荘としてみんなの記憶の表側に現れました。街の人々の想像や生活の中から、哲学者の部屋は現れ、風景に溶けだしました。

哲学は紀元前からあり、当初は学問一般のことを指しているほど古い学問である一方、「経済学の父」と呼ばれるアダム・スミスは18世紀に誕生していることからわかるように、経済学は比較的新しい学問です。みなさんご存知の通り、産業革命が起こり、市民にとってモノの価値をどのように生産し、分配していくのかが重要になってから生まれた学問です。

Robert L. Heilbronerは、市民という概念が定着してから生まれた学問であり、市民が生まれたことによって必要となった学問(*1)なので、経済学を俗っぽい哲学という言葉遊びで表現したのだと思います。それは蔑称ではなく、親しみを込めた別称です。私は中之条に溶けている、Economist ではなくWorldly Philosophersの部屋を探し続けることにしました。別荘を持っていた経済学者を「哲学者ではなかった!」と指摘するのが目的ではありません。もちろん学問の違いを強調したい訳でもありません。

(*1)モノの価値の交換、生産は市民が登場する前から貴族や大名などの間で存在していましたが、社会全体を動かすシステムとして構築され、それを系統だてた研究する必要が出てきたのは市民の登場によるものと考えます。

特に言葉で確認することなく生まれていく合意が集まって、街は風景を作って行きます。目に見えること全てに意識を働かせて、他者と合意しながら生活はできません。私が気になったのは、哲学者でも経済学者でもなく、特に確認せずに生まれる風景、その行程です。

その行程は見えないストロークとなり、街の輪郭を描いてゆきます。
みんながそれぞれ自分勝手な街を描くのではなく、それぞれの中に他者がいて、その他者と自分とのバランスでストロークが描かれてゆきます。他者は身勝手な他者ではなく、公平な視点をもった他者です。

アダム・スミスは『道徳感情論(The Theory of Moral Sentiments)』の中で、『公平な観察者(impartial spectator)』という言葉を使っています。実際にいる誰かではなく、その人の中にいる絶対的な他者、その他者の視線に耐えうる言動により社会はある種の秩序を形成していくのです。それはイデオロギーといった方向性を持ったものではなく、「村の掟」といった閉鎖的なルールでもありません。

私たちは何も知らず、哲学者の部屋を探しています。人々の記憶が歌となり、中之条駅前の通運ビルからバスを走らせます。今回の作品は、バスツアーに参加することで体験できる仕組みになっています。バスの中や見える風景にしかけを作りました。種明かしになってしまうので、バスツアーの詳細については、ここでは書きません。バスツアーに参加しなくても、体験できるものも点在しています。

◆ 通運ビル裏のピロティ
ここから、始まります。ここで、終わります。いつもいるのは、保護者の迎えを待つ高校生や大学生、日陰で休みながらおしゃべりする中学生、親しくなりたいと思っている男の子と女の子が、少し距離を置いて座る場所。そんな場所に今回はバスツアーを待つ人々と、インフォメーションセンターを見る観光客が加わります。街の始まりの駅前のビルの裏に、impartial spectator(公平な観察者)の文字を描きました。街の音や記憶の声が流れていきます。ゆっくり座ると、記憶の森が見える時があります。視線をずらさないと見えない風景です。ビルの階段にも音を巡らせました。登っても何もありません。扉の向こうは、アスベストが舞う空間なので、扉を開けることはできません。

◆ Tumuji
総合インフォメーションセンターにもなっているTumujiは、ビエンナーレとは関係なく日常的に人が集う空間です。中央の芝生には子どもたちが走りまわり、大人たちは青空市場やダンスの練習などをしています。リチャード・セネットの『公共性の喪失』には、“18世紀の都市においては、公的な場における服装や立ち居振る舞いを見れば、その人がどのような人間であるかがすぐに分かる仕組みが出来上がっていた。18世紀の中頃より、パリとロンドンでは、社交活動の一つとして街を歩くことが今までになかった重要性を獲得し、人々はこの時代に整備されるようになった公園という場所を歩き回った(pp.126-127)。…略…1750年代の演劇においては、観客が俳優に混じって舞台を練り歩き、友人に手を振るといった光景が日常的に見られたのである(pp.113-114)。”と書かれています。喪失してしまった公共性を再獲得するチャンスを孕んだこの場所では、毎週土日にニコニコ生放送というインターネット中継を行います。そこで放映される風景に登場する人々は、観客と俳優が一人の中で入れ替わります。それを見ている私たちでさえ、そうなってしまう空間です。

◆中屋
月見橋の先に中屋があります。中屋には階段があります。階段の下には窓があります。窓の外には川が流れています。川の名前は四万川。私たちはこの風景に名前をつけました。名前には音と文字があります。この風景の名前には文字がなく、音だけがあります。呼ぶための名前ではなく、聴くための名前。それは名前とはいわず、音楽というのかも知れません。

◆五反田小学校
五反田小学校の裏手には小径があります。片側は林でもう片側はツル植物で覆われています。小径をぬけると、不思議な木たちが佇んでいます。その先には神社があります。聞こえるかな。たぶん聞こえない。時々聞こえる。あのツル植物の名前はなんだろう。もうそろそろ食べられるかも知れない。聞いてみてください。

そして今回彼らがいなければ、作品は完成しませんでした。ありがとう。
街の人々を紹介してくれた、あがつま御縁屋の岡安 賢一さん
ニコニコ生放送を通して映像を担当してくれた、ウエストホーク・AD西やんさん
音だけでなく共同制作者として参加してくれた作曲家、松島俊哉さん

それでは、よい旅を。
| 中之条トリエンナーレ2011 | 17:46 | comments(7) | 2011.08.19 Friday |
中之条ビエンナーレ2011:制作中


群馬県の中之条地域で行われる中之条ビエンナーレ2011に参加します。
写真はお弁当の、ゆでたまごとサンドイッチです。
→中之条ビエンナーレ2011

AIR-Nというレジデンス施設に滞在しています。
キッチンもあるので、(節約のために)三食自炊です。
お昼はお弁当を作って行きます。
野菜が、めためた新鮮で安くて。
今はトマトやズッキーニなんかがすごいことになってます。うますぎです。

私の作品は、バスツアーを中心とした街の風景を見せていくものです。
関越交通とローズクイーンの2社からバスツアーがあり、先日ご挨拶に行ってきました。
両社とも違った個性のある会社でしたが、快く作品のインストールを受け入れてくれました。よかった。ほ。これで一番の懸念材料はクリアしました。

駅前の通運ビル3階に拠点を作り、そこから様々な場所を巡って行きます。
もちろんバスツアーに参加しなくても十分楽しめます。

今回は音楽と映像(ニコニコ動画)とラジオ(ミニFM)が重要な要素になってきます。

音楽は松島俊哉さん、ニコニコ動画はウエストホーク・AD西やんさん、ミニFMはFMベーガンスの高橋さんに協力してもらっています。あとは全般的に緑街storeの岡安さんに協力してもらっています(ありがとうございます)。

もちろん総合ディレクターの山重さんを初め、運営の人々にも、町役場の人々にもまんべんなくご迷惑をかけまくっています(苦笑)。

今回、特に何か形をつくるようなことはせず、街の音や景色を浮き出したいと思っていて、作曲家の松島さんに協力を仰いだのですが、ニコニコ動画とラジオ局は、私がそうしたいというより、街のお話を聴いているうちに、こいつらに会っておけ的な感じで、紹介していただきました。
そういった、街から出てきた風景を描きたいと思っていたので紹介して頂いて、とても嬉しかったです。

FMベーガンスは、群馬の方言の「そうだべー」の「べー」と、「そうでガンス」の「ガンス」を合わせた造語だそうです。

群馬でガンスって使ってるなんて知らなかったでガンス!
広島で展覧会をしていた時に、パトくんという青年が「そうでガンスー!」としきりに言っていたのを思い出して、懐かしくなりました。
広島と群馬。遠いけど、同じ方言なんですね。

西やんさんはAKB48のPVも作っている人で、会った時に作品を見せてもらったのですが、あ!見たことあるっこのPV!!!…普通にすごい人でした。事前にその話は聞いていなかったので、びっくりしました。面白いことが大好きって感じがにじみ出ている人で、安心しました。

余談ですが、緑街storeはジェラートとコーヒーが美味しくて、寄った時には飲むようにしているのですが、スタッフのイケメン(俳優志望)あきらさんの天然なおっとりにも癒されています。びっくりするほど丁寧にコーヒーを入れてくれます。東京じゃそんなんじゃ商売にならんぜよってくらい丁寧です。もし中之条に来ることがあったら、ミテミテください。
| 中之条トリエンナーレ2011 | 23:40 | - | 2011.08.02 Tuesday |
山の湯でインスタレーション


<写真・谷根千ウロウロの山田さん>

震災で根津神社近くの山の湯の煙突が壊れてしまいました。
煙突の周りを鉄骨で補強していたので、すぐに倒れることはないのですが、折れてしまっているし危険なので煙突を撤去しました。
根津は古い街並みを残している地域で、谷根千の中で被害は大きい方だったそうです。

根津神社界隈の銭湯は廃業してしまった所も多く、山の湯も営業を辞めてしまうと、ここを利用していた人たちが困ってしまいます。特に、おじいさんおばあさんは足腰が丈夫ではないので、遠くの銭湯に行くのには骨が折れます。

山の湯だけでなく、谷根千の銭湯は他にも休業・廃業をしています。震災後に入ったカフェもお客さんが激減したといいます。家賃をどうしようかと悩んでいました。でもなんとかするしかないねと笑っていました。自分の生活の為の仕事だからと、自分だけでなんとかしようとして、立ちゆかなくなってしまう人が増えては、地域は育ちません。

そんなことは私が言わなくても、みんな知っているけど。でも。やっぱり自分でなんとかしようとがんばってしまう健気な人が多いのも事実。

東京にも大きな地震が来ましたが、東北のような大きな被害は有りませんでした。でも。「うちは東北に比べれば…」と、外に声を出さないまま、小さな営みが消えてしまわないように。何かすぐに変わるようなことは出来ないかも知れないけど、私は足元の震災にも目を向けていきたいと思いました。

なので、ゴールデンウィークに開催される『休業中の根津・山の湯に入ろう! 〜煙突もカランもお湯もないけれど、これを最後にしないための見学会〜』で何かできないかと谷根千ウロウロの山田さんからお話を頂いた時、私は根津の人間ではないけど、即答でやります!と答えました。

このイベント自体も、それを行うことですぐに山の湯が助かるという即効性のあるものではありません。(イベントとは別に、即効性のある存続のための署名活動なども行っていました。)まずは見てもらおう。銭湯を知ってもらおう。公共浴場の必要性をわかってもらおうという趣旨です。

イベントの詳しい内容や折れた煙突の写真などは、谷根千ウロウロさんのページに掲載されているので、ミテミテください。
谷根千ウロウロ、山の湯

イベントは沢山の人が見に来てくださり、賑やかな雰囲気となりました。
営業を再開したのかと、おじいさんおばあさんが間違えてお風呂桶を持ってきたりもしました。微笑ましい間違えですが、「リュックしょって杖ついて、バスにのって。あっちの銭湯、こっちの銭湯、銭湯ジプシーだよ。」と言うおばあさんに少し心が痛みました。

私は銭湯の床面に谷根千の地図を描き、消え行く銭湯、残っている銭湯の痕跡をインストールしました。白いグリッドがきれいなタイルに、水のような青い地図をめぐらせました。そこに小さな紙模型の家を建て、現存している銭湯には煙突をたてました。

こんなに減ってしまったのか!と改めて俯瞰する人たち。私は谷根千の歴史を知らないので、模型の場所は地元の方々からお伺いしました。イベントが始まってからも、年配のお客さんから「この銭湯はこの場所じゃないよ。道が一本むこうだよー。」とみんなの記憶をたよりに修正が入ったり「あー。あったね。ここに!そういえばあの頃の脱衣所はね…」と、昔話を聞かせてもらったりしました。

みんな水色の地図に目をやりながら、頭の中には本物のだけど昔の街が描かれています。私は、こういう瞬間がすきです。みんなの頭のなかに、何かが描かれる時がとても好きです。

他には琵琶と落語の演奏があり、それぞれに素敵で私は聞き入ったり笑ったりしながら楽しみました。また、山の湯の大正時代に建てられた建物の細部を見入っている人たちも沢山いました。

山の湯のイベントはノスタルジックな事でも高齢者保護を謳ってわけでもなく、(もちろん高齢者が生きづらい街なんていやですが!)淡々と「公共」というものの問いかけをしています。

公共ってなんだろう。銭湯は公共浴場ですが、営利あってのものです(そうじゃないと経営者は生活できません)。でもみんなが気軽に集える、生活に密着した場で、衣食住と同じように絶対に必要な行為の場なのです。

「もしまた余震がきて、東京の水道が止まってしまっても、東京の多くの銭湯は地下水なので、水が確保できます。そして人が集えます。自衛隊がくるまえに自分たちで、衛生面を守れます。そういった面でも銭湯の存続を考えて欲しい。」と、銭風連の方はおっしゃっていました。

私たちはこれからどうやって、「公共」と向きあっていけばいいのかな。
そんなコトを考えさせられるイベントでした。
| 311 | 23:44 | comments(0) | 2011.05.04 Wednesday |
石巻と女川に植林した「おやすみツリー」のこと


『おやすみツリー』は、木の形をした香り袋。ラベンダーが入っています。
みんなの枕元におやすみを植林するために生まれました。
おやすみツリーの詳細については、この日記下の「続きを読む>」に説明を書きました。

2011年の3月11日に大きな地震がありました。

私はとても不安になりました。
私が持った不安の中身はまた改めて書きますが、私だけでなく日本中が不安になっているのがわかりました。

どうしよう。

余震も怖くて、寝る時は靴を枕元に置いてすぐに逃げられるようにしました。

その後に、福島の原子力発電所の屋根が爆発したとニュースがありました。水素爆発だ、問題はない。被爆するぞ逃げろ。健康に被害はないから逃げるな。いろいろな言葉があちこちに飛び回っています。

子供の頃チェルノブイリ事故の後に、好きだった旧ソ連の黒すぐりジャムが食べられなくなったことを思い出しました。アメリカの甘いジャムと違って、共産主義国の素材の味がそのまま出ているジャムが好きだったのです。そんな回想をしながら、現実には何も手を打たずに、途方にくれていました。

家族も日本から離れました。何度か私にもチケットを買ってくれ、何度も電話で逃げろと言ってくれましたが、私は何故だか日本から動きませんでした。私は時々一人で海外に行きますが、私以外の家族が海外にいるのって、いつもと逆で変な気分。みなし子になった気分。離れて暮らしたって愛情の深さは変わらないのにね。へんなの。

実家がなくなるのって、なんかぽっかりした感じ。いろいろなものが、ゆらーっと揺れて、船酔いのような毎日です。

地震があった時に、私が決めたことは一つだけ。

<映像をみない>

テレビもインターネットもなにもかも、流れてくる数字の言葉と文字の情報には目を通しましたが、写真と動画は一切見ないようにしていました。

それは、とても怖かったからです。恐怖に打ち勝つ自信がなかったので、出来る限り視覚情報から離れて、自分の行動を信じることにしました。

ツィッターには、「怖くて眠れない」というような書き込みが沢山あって、悲しくなりました。おやすみツリーじゃ何にもならないかも知れないけど、もしかしたら少しだけおやすみできる人もいるかも知れないな。と思いましたが、「お前、自分の作品を震災でつかうのかよ。偽善者だな。」と頭の隅っこで笑う人がいたので、おやすみツリーを配ることは恥ずかしくなり、やめようと思いました。

それからベッドに入るたびに、おやすみツリーを作ろうかな。偽善者かな。でもいい匂いで誰かが眠れるかもな…と羊を数えるように、考えました。余震は毎日続きます。
なぜだか時々涙がでました。その頃は、私だけでなく、みんな何かを考えるとなぜだか涙がでてしまう不思議な時期でした。

「自意識過剰だな」と誰かが夢の淵で教えてくれました。「偽善者かどうかなんて、どうだっていいよ。そんなこと。お前の見られ方なんて誰も気にしてないよ」と夢の中の人は教えてくれました。

そっか。そうだよね。「おやすみツリー」なんてオモチャみたいな匂い袋、配ったって配らなくたって同じなら、配ってみよう。誰も気にとめないなら、配ってみよ!

その頃、近藤ヒデノリさんがACT FOR JAPANというのを立ち上げたと聞いたので、おやすみツリーを配りたいと相談しました。そして、4月16と17日の2日間、トウキョーワンダーサイトでおやすみツリーを作るワークショップを行うことになりました。

「みんなでラベンダーの匂いに囲まれて、集中する針仕事をすると落ち着く。」参加してくれた人たちがそう言ってくれました。出来上がったツリーを被災地に持っていくんじゃなくて、被災地でおやすみツリーを作れば、みんな楽しいんじゃないのかな。と言ってくれました。機会をみつけて、やりたいと思います。ワークショップができる場所や知り合いがいたら、誰か教えてください。

針仕事なんて家庭科の授業ぶりという男の人たちが作ったツリーは、お世辞にも素敵とは言えませんが、すごく愛らしい形態になって、その背中を丸めて作る姿も愛らしくなっていました。

ワークショップをした時は、出来上がったおやすみツリーたちをどうするか決めていませんでした。段ボールに入れて、被災地に送ることもできますが、そんなことはしたくありません。だって。重要じゃない。おやすみツリーは、必需品じゃない。もしかして、ほしい人がいたら、貰ってもらう。それくらいの作品です。

被災地ってどうやって行くんだろう。インターネットで調べましたが、いまいちよくわかりません。「ボランティアセンターに行く。自分で衣食住は確保する。」私は車もテントも持っていません。でも寝袋と体力は持っています。

仙台行きの夜行バスが出ているのを見つけました。仙台駅から石巻まで高速バスが出ているのも見つけました。本当は昔お世話になった岩手の吉里吉里に行きたかったけど、今回は石巻に行ってみよう。イシノマキ。初めていく場所。

リュックに、おやすみツリーとカロリーメイト10箱と水2リットルと寝袋を入れて、釘を踏んで破傷風にならないように厚底の登山靴を履いて。ノーメイクでニッカポッカと頭にタオルを巻いて防じんマスクをして、夜行バスの出ている新宿に行くために深夜の山手線に乗りました。みんなジロジロ見ます。見られているのに気づかないフリをして、山手線にゆられます。

石巻について、愕然としました。なにここ。
テレビもインターネットも何も見ていない私は、よく状況がわかっていませんでした。何もない。自衛隊の車がたくさんいて。戦地というのはこういう感じなのだろうかと思いました。

全てが灰色や錆びた色になって、桜が満開で美しく、空には雲が流れています。なんてことなのだ。自然はまったく美しすぎる。どうしていいのか本当にわかりません。どこに行っても、桜が美しく咲き誇り、その枝に衣服やガラクタがまとわりついています。

泥や瓦礫撤去のボランティアに登録しました。醤油屋さんのおじいさんの家の泥だしを男5人と私でやりました。日本全国からあつまった人たちでしたす。泥は重く、おじいさんとおばあさんが見ている目の前で、泥まみれになった、この間まで着ていた洋服やアルバムを土のうに入れて捨てる作業は、体力的にも精神的も大変でした。

「全部捨てちゃってください」という老夫婦に、「この写真洗ってとっておきますか?」「この食器、洗いますか?」いちいち全部聞いてしまいたかったですが、その質問がおじいさんとおばあさんを傷つけたらどうしようと思って、ただただ、みんなで「泥だししまーす!せいやっ!」っと楽しげな掛け声ばかりだして、仕事をしました。

雨が降ったので全部はできず、途中で帰りました。醤油を貰って帰ったので、東京で食事会をして、醤油代金をもってまたここに来ようと思いました。(その後、実際に食事会をして、またおじいさんに会いに行きました。また改めてその時のお話は書きますね。)

雨でボランティアができなくなってしまったので、現地であった北海道から来たAISプランニングの漆さんたちの車に乗せてもらって、小学校や女川原発に漆さんたちが持ってきた物資を運ぶののお手伝いをしました。でも、個人の物資は受け取れないようで、なかなかうまく行きません。

私は避難所になっている小学校でこっそりと、仲良くなった子どもにおやすみツリーを手渡し、クサーいと言われ(笑)、不安で眠れないお母さんがいると言うので(会えませんでしたが)渡しておいてもらいました。

そして女川の高台に行った時、大きな病院があったので看護婦さんに、「突然で申し訳ないんですが…いいの匂いする、おやすみツリーを持っていて。枕元におくと眠りやすくなるんです。」とおやすみツリーを見せたら「わー!いい匂い。かわいいっ。」と、とても喜んで、「心のケアが必要な病棟の人たちが不安になっているから、そこに持っていくといいわ。」と、その病棟に連絡をしてくれました。

連絡をするや否や本当にすぐに、長い渡り廊下を通され、がしゃーん。がしゃーんと、何個かの扉を開けてもらえ、心のケアが必要な病棟に連れて行ってもらえました。

そこで、勝手に東京から来てしまったこと、みんなでおやすみツリーを作ったことをお話すると、婦長さんらしき人はとても喜んでくれて、みんなに配ろうと言ってくれました。配るんじゃなくて、植林するんです…と私のわけのわからない訂正も理解してくれました。いろんな人がいるので、直接みんなの枕元におくことができませんでしたが、匂いはとても欲しいと思っていたと言ってもらえました。

その後、また醤油屋さんの老夫婦の所に寄り、漆さんの持ってきた裁縫道具と薬セットと、おやすみツリーを渡しに行きました。おばあさんは、物資は要らないわ。申し訳ないわ。とかたくなに断っていましたが、裁縫道具を見たときに、「あ。お裁縫したかったの…流されちゃって…。」と本当に欲しそうにしていたので、とても嬉しかったです。

漆さんたちが車で、いろいろな場所を回ってくれて、私はそれを観光客のように眺めました。生活が粉々になって落ちています。魚が腐った臭いを放っています。何かが燃えた臭いがします。すべてが知らない風景になっています。初めて来たから知らない風景なんだけど。そうじゃなくて、知らない世界が、始まってしまったのを知らされました。

こんな所におやすみツリーなんて、意味無いじゃん。そんなちっぽけな匂いでこの臭いたちに太刀打ちできるはずないじゃん。と私の中の誰かが笑っていましたが、持って来てよかった。と感じました。
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| 311 | 23:43 | comments(0) | 2011.04.29 Friday |
寿うずまき


ちょっと遅くなりましたが、報告。
2010年12月4日(土)〜5日(日)に「寿うずまき」が開催されました。
春の合宿に続いて、冬の合宿。今回は成果発表会がありました。

会場づくりがメインの合宿で、みんなで看板をつくったり、タイムテーブルを作ったりしました。

前回は交換日記が必須でしたが、今回は寿合宿専用ブログ。
毎日アップが目標でした。が。私は、あまりアップできませんでした。
携帯電話から、1度はアップできたのですが、その後はなぜか繋がらなくなり、そのままほったらかしにしてしまいました。。。ごめんなさい。

寿合宿のリーダーの琴恵ちゃんが、お腹に赤ちゃんがいるので、今回は遠隔参加になり、笑平くんと千依ちゃんがリーダーとしてがんばってくれました。

笑平くんの「寿にはナマモノが似合う!」という強い意向で、パフォーマンスがメインとなり、新しい合宿メンバーが増えたり、成果発表だけ参加の人たちもいて、賑やかな雰囲気になっていきました。わさわさして楽しかったです。

私は、音の作品をつくりました。寿町は、町というにはとても小さな面積なのに、一つの町にしては社会的に抱えるものが多すぎる町です。

2009年に一人で寿に参加していた頃、おじさんたちから「時々逃げ出したくなって、地元の近くまで帰ってなんとかやり直そうとする。でも結局は他に行くところがなくて、寿に戻ってくる。」というような話を聞いたり、自分も設置している中で感じる様々なことに耐えられなくて、走って逃げ出したくなったりしました。春の寿合宿でも、他の作家さんたちも一度は飛び出したくなっていたようでした。

とは言え、私たちは外の人間なので、そんな気持ちになったりしながらも自分たちの「仕事」を楽しんでいました。

私はその事を、作品にしました。
ぜんぜん関係ない角度から、作品にしました。
町を一人で歩くことを、観客にしてもらう作品です。
ヘッドフォンをつけて、町を散歩するだけ。

私が話している内容も、音も、寿町が素材ではありません。
でもこの作品は、寿町を歩くために作りました。

せっかくだから、寿合宿の成果発表会「寿うずまき」でスピーカーで流そう!と、他の作家さんたちが好意で言ってくれましたが、町に音が溢れてしまうと、何か違う気がしました。でも、そう言ってもらえたのは嬉しかったです。私も、私の作品は一人づつしか体験できないので、「寿うずまき」で大勢の人に一緒に体験できるような形にしたいなと思いました。

そこで、ダンサーの竹之下亮さんだけがヘッドフォンで音を聞きながら、動いてもらい、その動きをみんなに見てもらうことにしました。

合宿の途中で、試作をみんなに聞いてもらっていたときに、竹之下くんが動きながら聴いてくれたのが印象的で、この音で踊ってくれたらいいなぁと、散歩の作品とは関係なく感じていたので、急遽相談させてもらいました。

竹之下くんは急な相談にも関わらず、すぐに快諾してくれました。ほ。

当日は、お客さんはどんな音を聞いているのかを想像しながら、竹之下くんのダンスを見ていました。私はみんなの頭の中に鳴り響く、空気の振動しない音に興奮しながら、竹之下くんのダンスをみました。

でも。あれ。このタイミングで、あの動きをするんだ?と少し変な気分にもなりました。曲の長さと、ダンスの尺も合ってない。。。案の定、プレーヤーは壊れていて、竹之下くんはみんなに気づかれないよう、曲がなっているフリをして無音の中で踊っていました。

でも、みんなは曲を聞きながら踊っていると思っていました。私もちょと不思議な所が多いと思いながらも、曲は流れているんだと思っていました。それは、とても考えさられる面白い体験でした。

竹之下くん、みなさん、ありがとう。
| KOTOBUKI CREATIVE ACTION | 18:41 | comments(0) | 2011.03.10 Thursday |

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